エルヴィス・プレスリー POD ボールペン

ロックの歴史を語るとき、絶対に触れずにはいられないアーティスト、エルヴィス・プレスリー。

1954年にミシシッピ州メンフィスのレコード会社からデビューした彼は、白人と黒人の壁を打ち破る新しい音楽によってアメリカ文化を根底から変え【The king of rock'n'roll】と呼ばれています。

1977年8月に42歳の若さで他界してしまいましたが、今もなお世界中に多くのファンを抱え、人々を魅了しつづける不世出のロックスターです。 

そのエルビス・プレスリーのサインと年代別のポートレートをデザインしたボールペンが米国のPOD社によって開発、販売されました。

ペン本体にはオフィシャルサインを証明する限定番号つき証明シールが封入されています。 

●ボールペン本体には本人のサインをデザイン。(直筆ではありません)

●ボールペン内部に限定番号つき証明シール。

●ペンスタンドにもなる透明なケース付。

●ギフトやコレクションに欠かせない紙箱入り。

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エルビスシリースは全部で6種類 各¥2,600(税込み)+¥360(全国一律配送料)

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持ち手の軸は太め、シニアの方にもしっかりと安定した持ち味を感じていただけます。

(上図はカランダッシュと比較)


解説:市浦 潤 

今や音楽の一つのジャンルとして誰もが知っている、”ロックンロール”だがこれはハイティーンでハイスクーラーがアメリカ南部、メンフィス、テネシー州で1954年に白人のカントリー・アンド・ウエスタンと黒人のリスズム・アンド・ブルースの

 今でこそ言うハイブリッドサウンをすでに黒人のリッカビリーを芥子の種のようにエルビス・プレスリーが色々な楽器、編曲、振り付けで装飾をして金平糖にしたことがはじまりであったと言われている。

 エルビス・アーロン・プレスリーのテレビ出演と相成るセクシュアルな振り付けが一躍にロック・アンド・ロールを瞬く間にポピュラーにし全米を制覇した。

 当時親たちはこの音楽は社会を滅ぼすと反対運動、テレビでの放映禁止をうたって子供の将来を心配したがプレスリーの若者間での人気はこれを止められなかった。

1956年に彼は最初の映画、”ラブ・ミー・テンダー”と1月にプレスリーのRCAでの最初のシングル盤”ハートブレイク・ホテル“をリリースした。

1958年に徴兵され2年後に除隊した。

 

マーチン・ルーサー・キング牧師が黒人公民権運動を開始したのと時を同じくして南部での人種問題の活動がきわまったまっただ中で、ミュージックによっての人種の堺を起したことを画期的なサウンド、リズムだけでなく大いに意味があるのではと伝えられている。

しかし人種問題での狭間で、プレスリーの存在は多方面で論争に関与し並大抵のことではなかったようだ。

 彼は音楽史上でグラミー賞、3度受賞、36才で一生達成賞、録音された単独のミュージシャンとして推算世界で6億万枚以上のレコードを販売したと言われている。

彼はロックン・ロールのキング、もしくは単に“キング”と呼ばれている。

後年には薬物と彼の食生活が傾いていたからでの42歳という若さでこの世を去った。


 彼はピーナッツバターとバナナのサンドイッチのパンをフレンチトーストの様に卵でなくバターを溶かしフライパンでしっかりしみこませ、焦がして好んで食べていたようである。

かなりのカロリー高で体調に不変を来し肥満化した要因ではなかったかと言われている。

彼が最初にこのサウンドを演奏し始めたときは”ロックン・ロール”ではなく”ロック・アンド・ロール”といっていたようだが、アメリカ英語の得意とする、つなげてスムースにする技法で”アンド”の”A”と最後の”D”を省いて“N”だけで”ロック・ン・ロール”となっている。

この”アンド“のつなぎ手法の言い回しは他にも多く見られる。 


POD pen series

  • Gold Lame           #20104
  • In the Army         #20105
  • Early Times         #20106
  • Blue Hawaii         #20116
  • He Dared to Rock   #20117
  • Show Time          #20118

ー Gold Lame         #20104 (ゴールド・ラメ)黄金のラメ ー


エルビスは当初1970代頃、白いジャンプ・スーツが定番だったが、後半はかなり他の色のジャンプ・スーツを着用していたが、その中でとくに人気があったゴールド、黄金のラメ地のジャンプ・スーツ姿がモチーフとされている。


ー In the Army        #20105 (インザ・アーミー)兵役で ー


アイセンハウアーが大統領の時、彼も21才になり徴兵の対象となった。

1958年1月に徴収にあったが、丁度パラマウントで映画の撮影中のため、彼の直筆の書簡により延期を申請し受諾され3月24日に陸軍、アーカンサー州のシャフィー基地に入隊した。

当初はエルビスはミュージシャンは特別部隊、即ち楽隊へ入隊を当然のことと思っていたのだが、マネージャーの意向により誰とも同じ一般入隊となった。

これにはエルビスを安売りしないため、軍隊に収益を上げさせたくないとのマネージャーの意向があったようだ。駐在は2年間でシャーフィー基地での基本訓練のあとドイツのフランクフルトの北30㎞にあるフリードバーグアメリカ軍駐留隊へ除隊の1960年3月までの配属となった。

ここでプレスリーを語るとき忘れてはならないもう一つの事がある。かれがドイツへ駐留中に空手を習ったことだ、これは後に映画でも活用されたようである。


ー Early Times        #20106  (アーリー・タイムズ)初期時代 ー


 アメリカのある文献によると、このEarly Timesは生まれた時、1935年から1953年をくくっている。

1953年というとちょうど彼が高校を卒業したときだ。

タバコの煙とミラーボールからの落ち着かないライトにまだ漬かる前かちょうど漬かりはじめなのかと思わせる童顔ぽいころがみうけられるが、おそらくそこまでいかない1960年代はじめのころではないかと思われる。

最初のレコード会社サン・レコードか次のRCAの始まりではないかと思う。


ー Blue Hawaii        #20116  (ブルー・ハワイ)ブルー・ハワイ ー


 彼は時代が移るに従ってミュージックでなく才能を発揮し映画に興味を見いだしてきた。

結局32本の映画に出演ししかも全てが主役と言う驚異的な記録を残している。

このブルー・ハワイの映画は8本目で1961年の制作である。

兵役を終わってから彼は年平均3本のペースで計27本もの映画の製作が行われた。1956年から1961年までに31本の映画が公開されたが、さすが、歌手。

この内プレスリーが望んだ歌のない映画は1本のみだった。

プレスリーとハワイのなかで忘れてはならないのは、小泉首相の訪問でジョージ・ブッシュ大統領の前でプレスリーを演じたのは我々の記憶には新しい。真珠湾のアリゾナ記念館はプレスリーが1961年に行ったチャリティー・ショーによって建てられたとはあまり知られていないようだ。

プレスリーはかなり多方面に多くの団体に寄付をしていたが、殆どが非公式や匿名で行われていたようだ。


ー He Dared to Rock  #20117 (ヒイ・デアード・トゥ・ロック) ー


 直訳すると、“あえて、思い切って、ずうずしくも(小学館・ランダムハウス英和辞典)ロックする”となる。

やはり真のロックンロールの元祖としては、ロックンロールとの関わりのある一点が欠落してはフルラインアップにはならないのであろう。

プレスリーは出生当時黒人のリズム・アンド・ブルースと白人のカントリー・アンド・ウエスタンを掛け合わせた音楽といわれ、当時人種問題を抱えていた南部では特に白人層ではロックンロールは「若者を非行に走らせる」という考え方があり、プレスリーの音楽を禁止し弾圧運動を展開していた。

 しかし若者達の間でたちまちロックンロールはブームとなり、後にはプレスリーは“キング・オブ・ロックンロール”または“キング”と称され、ギネス・ワールド・レコーズでは「史上最も成功したソロ・アーティスト」として認定されている。


ー Show Time         #20118 (ショー・タイム) ー

ショー・タイム


 アメリカではクラブなどでのナマのミュージックとディナーがセットになっているのが、真の大人の夜の楽しみの定番で、それが証拠に、ラスベガスへ行くとステージでのショーとディナーショーとのチョイスがある。

ディナー・ショーの場合は順番としてはまずディナーで、そこでそろそろディナーがデザートと出番となるあたりになると、MCが”ではショータイム”とマイクを握りながら気合いを入れてくれてバンドのパンチの効いたイントロか、セレナードの様にゆっくりと静かにステージが明るくなり音が響きはじまるのである。

さしずめ、この”ショー・タイム”とは ”ではショーの始まり”とでも言うのでしょうか。

映画に先約された期間が過ぎるまえ、1969年よりラスベガスを中心にショーを行うようになっていた。

これはプレスリーの除隊後はマネージャーの長期映画契約に基づきライブ演奏ができなかったため音楽とは距離をおいていた。

それが解けたときからのライブの収録がこれらドキュメンタリー映画「エルビス・オン・ステージ」となった。

その後のラスベガスのショーは、ロックンロールだけでなくかなり大がかりになりオーケストラ、バックコーラスなどをも含めたものとなったようである。


2017年3月30日

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