ステープラー

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 ステープラー(ホッチキス)のメカニズムには、なぜか幼いころのいたずらざかりの僕をひきつける強いものがあった。

父の持っていたステーショナリーのひとつで、クロームメッキのハンドルが一直線に高射砲のように上を向き、ハンドルのもとのところのブルーとも紫ともなんとも言いようのない色のスプリングがとても印象的なステープラーがあった。

幸いにも駒場の家が戦火を免れたこともあって残ったのだ。しかしよくステープル(針)が詰まった。その当時のステープルの品質が悪かったからではなく、なにも知らなかった僕のやることなので、詰まると容赦なく太いドライバーで突いたために肝心なところの精度が狂ってしまったからだろう。

何回となく指にステープルを刺した。最近指さきにステープルを刺したことがあったが何となくなつかしい痛さだった。

 当時これらを僕はステーショナリーではなく玩具と考えていたので、紙とあらば手あたり次第に綴じてしまい、父が帰ってからずいぶんお目玉をくらった。一時期は油を差すのに凝ってしまって、自分で油が必要と判断したものには何にでも母のシンガーのミシン油を差していたことがあった。

 このステープラーも油差し魔のエジキになって、父が綴じたものが油だらけになり、ずいぶん油を絞られたものだ。ステープルがどうやってあのようにひとかたまりになっているか知りたくて、「一つ一つを手でむしってみたことがある。セロファンのようなもので張り付けてあるということが分かった。後にエジソンが一時期社長であったベイッ社を訪問した時に初めてステープルを作る機械をみたが、「チズル・ポイント」(Chisel Point)にはいささか感心してしまった。この製造方法は、最後にステープルが一体になりニスが乾いた時点で、ヤスリで針の先をなめて、のみのようにするだけなのだが、このちょっとした改良が綴じる作業を楽にしているのである。

 現在はベイツ社も僕たちの見慣れた標準の「U」字形のステープルを使うステープラーを作っているだけだが、ニュージャージー州の本社を訪ねて社長室で資料を見せてもらったとき、真鍮のワイヤーをまいたスプールをステープラーに装墳し、自分でステープルをつくりながら綴じるタイプを最近まで作っていたことを知った。ワイヤーのスプールは今でも販売されている。

 オリジナルの「ホッチキス」。外来語の中にはプランド名が普通名詞化して定着したものがかなりあるが、ホッチキスもそのーつだ。しかしアメリカで、ステープラーをホッチキスと呼ぶのを聞いたことがない。

 いまはステープラーの名称が普及してきたのであまり問題はないと思うが、アメリカの文房屋でホッチキスを欲しいといってなかなか通じなかったという話を聞いたことがある。そこでホッチキスという言葉のルーツを知りたくなった。「ホッチキス」というのは、アメリカではよく耳にする人名なので、それが商品名になったらしいことは推測がついた。

 次に判明したことは現在のアメリカでそのホッチキス・ブランドのステープラーが存在しないことだった。とりあえずウェブスターの人名辞典をひいてみた。Benjamin Berkeley Hotchkiss 1826〜1885、アメリカの発明家、ホッチキス機関銃とホッチキス・マガジンタイプのライフル銃の発明家」と説明されている。

 その後に、ある日本の雑誌にホッチキスという人が、ステープラーを発明した、そして同じ人が機関銃も発明した、とあるのを見つけた。はたしてステープラーを発明したのはB・B・ホッチキスなのだろうか。次はその真偽を確かめなければならなかった。それと同時に、「ホッチキス」というブランドのステープラーは存在したのか、したとすればいつごろのことか、そして、「ホッチキス」という会社はその後どうなってしまったのか、をマンハッタンで聞いてまわった。

 可能なかぎり情報を集めた。ニューョークのステーショナリーの生き字引きとも呼ばれる、今なお現役の八十五歳の老人や、ダウンタウンの歴史の古いステーショナリー・ストアのオーナーにも会ってみた。そこから芋づる式に次から次へと紹介されて、ついにハウストン・ストリートの近くの問屋のサム・ゴールドウィツ氏が、僕が探している情報を持っている人だろうと教えられた。

 訪ねてみるとかなり大きな問屋で、アポイントメントもなしだったが、核心に近そうだという勘が働いてどうしても話をしてみたかったので無理をお願いすることにした。教えられた名前を言うと、それは御主人で、少し待たされてから彼の二階の事務所に案内された。訪間の理由を説明すると、僕の探しているものはこの人がよく知っているだろうと言って、おそらく最も信頼しているらしい部下を呼んでくれた。そして「例の段ボール箱を持ってきてくれ」と彼に言った。なんとその箱の中には、夢にまで見たまぎれもない見るからにオリジナルのステープラーが無造作に詰め込まれているではないか。しかもーつではなくかなりのはかコレクションを彼は持っていて、その他にインク、ステープル、と出てくるわ出てくるわ、僕は興奮のあまりにモータードライブにものを言わせてカメラのシャッターを押しつづけてしまった。

 あまりにも僕が長いあいだシャッターを押しつづけるのに彼は驚いたらしい。こんなことを言って、また僕を興奮させたのだ。「これがあなたにとって、そんなに大切なものなら、これを私からのプレゼントとして、さしあげましょう」。

彼はそう言って、数台あるうちから、いちばん保存状態のいいものを僕にさしだした。なんと御礼を言ったらいいのか分からない気持ちだった。日本で、ステープラーを意味する言葉になってしまった「ホッチキス」のルーツ、「ホッチキス社」のステープラーをついに手に入れたのだ。さっそくアパートへ帰りしみじみと手にとって見ると、THE E.L. HOTHCHIKISS CO.と裏側のダイカストのベースにしるされてある。

 どうやらB・B・ホッチキスとは違うようであるが、もうーつ新しい情報を発見した。特許の交付が1918年12月10日と記されているのだ。B・B・ホッチキスは1885年にこの世を去っている。まだB・B・ホッチキスまでには結びつけられないが、次の代の一族がステープラーの製造に関与したのだろうと考えている。

 父の持ちものの中に全く動かないステープラーがあった。そのうちのーつは僕が壊してしまったものだ。ステープルを前に押しているメカニズムのスプリングを、無理に引っぱって切ってしまったのだ。切れたときに手に当たって痛い思いをしたのをよく覚えている。これは手で押すところが、きのこの帽子のようになっていて、全体にクロームメッキされていたoこれが日本製であったかどうかは今になっては分からないが、ひょっとするとホッチキス製だったかもしれない。この型のステープラーは最近見あたらないが、父が亡くなってから遺品を整埋していたらまた別のなつかしいステープラーが出てきた。これはボスティッチ社のステープラーで、僕がアメリカにいる間に購入したものらしい。新しもの好きの父のことなので、おそらく丸善ででも見つけて買ってきたのではないかと思う。アメリカで初めて入ったスタジオ・シティーの文房具店の店頭には、まだこのモデルがならべられていたように記憶している。

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