アメリ力へ留学して、多くの文房具に接した

ボールペンの修理のおじさんにいろいろと習ってから十年ほどして僕はアメリ力へ留学した。

1960年のことだ。

ロスアンジェルスの郊外の、その昔オレンジ畑のなかに映画のスタジオ(かなり大きな撮影所)が集まっていたからであろう、スタジオシティと名づけられた街で生活を始めた。その時初めて、ホッチキスはステープラー、ボールペンはボールポイント・ペン、と言うのだと知らされた。

使い古しばかりのアメリカ文房具に馴染んでいたので、ベンチュラ・ブルバードの文房具店を訪ねたときは興奮した。新品が並んでいるだけではなく、その店の大きなことにまず驚いてしまった。通路が広く棚が高く壁にはところ狭しといろいろな商品が陳列されていた。

西町スクールで見慣れていたと思っていたアメリカの文房具とは比較にならないほどありとあらゆる種類があるので、じっくりと調べてやろうという気になった

アメリ力へ留学して、多くの文房具に接した

スタジオシティでの生活は新鮮な出会いと驚きにあふれていた

ステープラーの種類の多いこと、その用途によって形、頑丈さがあまりにも違うことにただ目をみはるばかりだった。

そのときははっきりした使いみちは分からずに、ただ形だけを見て驚いていた。

テープ・ディスペンサーなど、デスクの上に置かれるものだけを見ても、はでな色のものはなく質実剛健の感があった。

日本を出るころに、わずかながら日本製のテープ・ディスペンサーを見かけたが、デザイン的にはまだ未熟なものだった。ベンチュラ・ブルバードの店で見た3Mのテープ・ディスペンサーは、モダンデザインに凝っていた僕の目に非常に新鮮に映った。

世話になることになったアメリカの家庭の御主人のミスター・ブルックは公認会計士で、ていねいにいろいろとアメリカでの生活上知っておかなければならないことを教えてくれたのだが、もつとも印象に残りその後役に立ったのはパーソナルチェックの使い方だった。

彼はペーパーメイトのボールペンを使って教えてくれたのを覚えている。ペーパーメイトの小さなハートのマークが大柄な彼にいかにも不似合いだったからだ。彼の書斎にはアメリカのオフィスの標準備品とでもいうべきものがすべてそろっていて、そのなかには懐かしいイエローペンシルもあった。

このころすでにアメリカでは万年筆は文房具屋の店頭ではスペースをあまり占めていず、がっかりした。渋谷にあった、米軍からの放出品を販売している店で初めて買ったパーカーのクインクのインクは、香料が入っていたのかとてもいい香りがして、学校の友人と発見したときはおおいに得意になり、ずっと愛用していた。それで、まだまだほかのインク、万年筆などでおもしろいものを発見するだろうと思っていたが期待はずれだった。

ともあれ文房具に興味のある僕にとっては、このスタジオシティでの生活は新しいものとの出会いであふれていた。電話のインデックスも初めて見たときには仕掛けが分からなかったが、一度ふたを開けてみたらなるほどと感心した。後に取材でベイツ社を訪問したが、そのときエジソンとベイツの関係と彼が手掛けた発明品がどれかがいろいろと分かった。そのうちのーつにこの電話のインデックスがあった。その後これはアメリカのオフィスの常備文具の代表といってもいいものになった。ベイツ社ではオリジナルに近い形をいまだに生産している。

アメリカ生活の最初の一年はロスアンジェルスのダウンタウンの学校へ通っていた。帰りは車だと三十分のところを一時間に一本のバスで一時間半かけるか、三時から五時ごろまでダウンタウンで時間をつぶしてブルック氏の車に便乗させてもらうかした。とにかく車がないとどうにもならないところだとこのときしみじみ知らされた。しかしこの時間がロスアンジェルスの都会の空気に触れるチャンスを与えてくれた。

早速ダウンタウンの文房具屋を見てまわった。オフィス用品などに郊外のスタジオシティとはかなり違った興味をそそられるものを数多く発見した。やはりオフィス街と郊外の文房具屋の違いははっきりしていた。

このころすでにアメリカでは万年筆は文房具屋の店頭ではスペースをあまり占めていず、がっかりした。渋谷にあった、米軍からの放出品を販売している店で初めて買ったパーカーのクインクのインクは、香料が入っていたのかとてもいい香りがして、学校の友人と発見したときはおおいに得意になり、ずっと愛用していた。それで、まだまだほかのインク、万年筆などでおもしろいものを発見するだろうと思っていたが期待はずれだった。

ともあれ文房具に興味のある僕にとっては、このスタジオシティでの生活は新しいものとの出会いであふれていた。電話のインデックスも初めて見たときには仕掛けが分からなかったが、一度ふたを開けてみたらなるほどと感心した。後に取材でベイツ社を訪問したが、そのときエジソンとベイツの関係と彼が手掛けた発明品がどれかがいろいろと分かった。そのうちのーつにこの電話のインデックスがあった。その後これはアメリカのオフィスの常備文具の代表といってもいいものになった。ベイツ社ではオリジナルに近い形をいまだに生産している。

アメリカ生活の最初の一年はロスアンジェルスのダウンタウンの学校へ通っていた。帰りは車だと三十分のところを一時間に一本のバスで一時間半かけるか、三時から五時ごろまでダウンタウンで時間をつぶしてブルック氏の車に便乗させてもらうかした。とにかく車がないとどうにもならないところだとこのときしみじみ知らされた。しかしこの時間がロスアンジェルスの都会の空気に触れるチャンスを与えてくれた。早速ダウンタウンの文房具屋を見

てまわった。オフィス用品などに郊外のスタジオシティとはかなり違った興味をそそられるものを数多く発見した。やはりオフィス街と郊外の文房具屋の違いははっきりしていた。

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