ボールペンの修理

僕が小学校四年のとき、親は満員の井の頭線の通学が大変だろうと、駒場から麻布に引越みやますすことにした。それまでは渋谷に僕を誘惑するものがたくさんあった。宮益坂をのぼっていったところにある学校(通っていた。学校の帰り、東横百貨店の一階の売場を通って井の頭線に乗るのが僕のおきまりのコースだった。先生からは道草をしないようにと注意されていたが、寄り道をしていたのではなくたまたま帰り道の途中だったので、と見つかると言い訳をしていた。寄り道をしている同校生を見ると先生に報告する生徒がいたらしい。しかし、そのうち僕は、ほかの生徒が全くよりつかない、したがって決して誰にも見つからない道草の場所を見つけた。東横百貨店の売場の一隅に、小さな仕事場があるのを発見したのだ。

ついたてガラスの衝立の内側で、毎日おじさんが仕事をしている。彼はボールペンの修理をしていたのだ。その当時ボールペンはまだ出始めで高価なものだったので、多くの人は修理して使っていた。ここに立って毎日のようにガラスごしにのぞいていたのでおじさんといろいろと話をするようになった。そのときに教わったボールペンの構造、修理の原理は僕にとって今でもペンの構造を理解するのに役にたっているものがある。

修理の多くはインクの詰めかえで、今なら捨ててしまうところを詰めかえて使っていたのである。まずボールペンの後ろから細い針金のようなものでボールを押し出す。それから圧力をかけてインクを入れる。クロームメッキされた直径十センチ以上もあるかと思われるシリンダー状の容器に、ボールペンのインクが入っていた。おじさんはかなりの力を入れてそのレバーを引き、ボールペンにインクを注入する。この作業をするとき、彼が決まって僕に後にさがるように注意しのも覚えている。そして、さきほどのボールを入れてから治具に入れ、手で回転させて先をつぼめる。

次に多かった修理は、書いているときに先にインクがぼたつくのを止めることだった。そのころのポールは今のものと比べると摩耗が早かったのであろう。おじさんは先をつぼめて調節していたように記憶する。そのほかには長期間使っていないために書けなくなってしまったペンの修理もした。インクが固くなりボールが回転しなくなっているものだが、おじさんはボール紙の上で力をいれて、いたずら書きでもするようにぐるぐると円を描いてボールが回るようにしていた。

ときどき書けなくなったと持ち込まれたものの中に、ボールがなくなってしまったものがあった。それが外国製でボールのサイズが日本のものと違っていたりすると修理ができなくて困っていた。今では考えられないことである。

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